長年未解決事件であった餃子の王将大東隆行(おおひがしたかゆき)社長射殺事件が急展開を迎えました。
なんとこの事件に絡んでいたのが工藤会の幹部という疑いが出てきたのです。
容疑者は服役中の工藤会幹部田中幸雄受刑者。
工藤会がまたしても民間人に手をかけたことが白日の下にさらされていますが、この田中受刑者と大東社長はどういった関係性なのか調査してみました。
民間人殺害が事実であれば2013年の北九州市漁協組合長射殺事件に続き3例目です。
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事件の概要
事件は2013年12月19日、早朝王将フードサービス本社駐車場にて大東社長が何者かに至近距離から4発の銃弾を撃ち込まれ死亡しました。
社長は自分で運転していた車から降りたところを狙撃され、ほぼ即死だったようです。
殺害に使われた拳銃は25口径で手のひらサイズ。
ポケットに忍ばせたら全然わからない代物です。↓↓↓
事件のあった場所はこちら↓↓↓
事件現場の風景です↓↓↓
大東社長は出勤日は毎朝本社前を清掃していたことで知られており、犯人はその行動を予測していたことから、綿密に計画された犯行ということがうかがえます。
また、銃弾は4発とも急所に命中していたということから、銃の扱いに長けた暗殺者の犯行ということがわかります。
それが、田中受刑者だったということでしょうか。
田中幸雄受刑者の経歴とは
生年月日:1966年(52歳)
出身地:福岡県
田中受刑者は異色の経歴の持ち主で、元々は都内の大学に進学後中退し、関西の金融会社に勤めていたいわゆるサラリーマンだったそうです。
それがどうして、どこで道を誤ったのか。
一説によると債権回収のトラブルで苦労していた田中受刑者を石田組組長溝下正雄(現石田正雄。3代目工藤会総裁溝下秀男の養子)が助け、そのことに恩義を感じた田中受刑者はヤクザの道へ進んだとされています。(参考:YAKUZAwiki)
田中受刑者が30代のときでした。
ヤクザの世界に入ったのは遅い方でしたが、口が堅い男として組内で信用を集めると同時に逮捕のリスクが最も高い汚れ役の仕事を引き受けるようになり、石田組本部長にまでのし上がりました。
その後、2008年の大林組銃撃事件実行犯として2018年6月28日に逮捕され、服役中に大東社長射殺事件が発覚しました。
サラリーマンからヒットマンに転身するとは誰が想像したでしょうか。
大林組の事件の時も狙撃したのはバンパーとヘッドライトだったということで狙ってやったのであればかなり狙撃の腕があったということになります。
大東社長の事件の翌日に起こっている北九州市漁協組合長の殺害事件にも関わっているのかもしれません。
大東社長と田中幸雄受刑者の関係性は?
調べてみたところこの二人に直接の因果関係は無いようです。
あくまで田中受刑者はヒットマンとして大東社長を狙撃し、その裏に殺害を指示した人物がいるということが疑われます。
その疑わしい人物とは大東社長と懇意にしていた不動産会社の社長と王将内部の幹部職員ですが、前者は事件発生から5か月後に大東社長の殺人容疑で家宅捜査されていますが、証拠が見つからず、発端の原因と疑われた金銭の貸し借りも否定していることから捜査は行われなくなりました。
大東社長は生前に「王将内部でごたついている」とその不動産会社の社長にもらしていたということですから、大東社長の失脚を狙った王将幹部の犯行ということでしょうか。
もし、そうであれば大手民間企業が暴力団と繋がっていたというとんでもない事件になります。
ただ、王将フードサービス渡辺現社長をはじめ幹部職員が関わっているという情報は皆無なので、田中受刑者の供述が待たれます。
大東社長と田中受刑者の関係性についてのまとめ
大東社長と田中幸雄受刑者との関係性についてのまとめ ・大東社長は2013年12月に王将フードサービス本社前で工藤会石田組幹部田中幸雄に銃撃され殺害されたとされる。 ・田中幸雄受刑者はヤクザとしては異色の経歴の持ち主で金融会社に勤めていたサラリーマンだった。 ・会社員時代に債権トラブルを石田組組長の石田正雄に解決してもらったことがきっかけでヤクザになった。 ・田中幸雄受刑者と大東社長は直接関係はなく、大東社長ともめていた人物が工藤会石田組を通じて田中幸雄受刑者に殺しの依頼をしたと思われる。
黒幕が誰なのか、犯人逮捕までなぜここまで時間がかかったのか不可解な事件ですが、田中受刑者の口から一体何が語られるのか。
口が堅い男と評判で組織から信頼を得ていた田中受刑者ですから、一切黙秘を貫いて真相が闇に葬られてしまうかもしれません。
遺族のためにも警察の威信をかけて真相が突き止められることを願っています。