元日本代表FWでJ3テゲバジャーロ宮崎に所属していた工藤壮人さんが21日に亡くなられたと所属チームの発表で明らかになりました。
32歳でした。
工藤さんは10月2日に体調不良を訴え、11日に手術、容体が悪化し17日に集中治療室に入っていました。
工藤さんの命を奪った死因は水頭症とのことですが、そもそも水頭症とは何なのか。また、工藤壮人さんを偲んで今までのスーパープレイを振り返ってみたいと思います。
工藤壮人選手のご冥福をお祈り申し上げます。
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工藤壮人(まさと)選手のプロフィール
生年月日:1990年5月6日
出身地:東京都足立区
身長/体重:177㎝/72㎏
ポジション:FW、MF
主なチーム歴:柏レイソル(2009‐2015)、サンフレッチェ広島(2017‐2020)、テゲバジャーロ宮崎(2022)
柏屈指のストライカーであり苦労人
Wikipedia等色々なところから情報を集めてみると工藤選手は苦労人だったことが伝わってきます。
工藤選手は柏レイソル歴代屈指のストライカーであり、かつて同チームに在籍していたエースストライカー北嶋秀郎さんの9番を背負って活躍した選手。
柏レイソル歴代トップの81得点(リーグカップや天皇杯の得点を含む)を挙げ、その得点力もさることながら、献身的な守備で右サイドハーフでも登用されたとありますから、かなりのスタミナもあった選手だと思われます。
ネルシーニョ監督とは柏時代に5シーズンともに戦い一時代を築きましたが、その後吉田監督に代わってからチームが低迷。その後工藤選手も長年お世話になったレイソルを後にしました。
その後海外のクラブチームに移籍するも試合中にGKと交錯してアゴの骨を折る重傷を負ったり、サンフレッチェ広島に移籍するもゴールが中々挙げることができずに苦しい時代を過ごしていました。
あまりにも柏レイソル時代と比べゴールが挙げられなくなっていたので、海外リーグで大けがをしたときに、イップスのようなトラウマを抱えたのが原因で動きが悪くなったのではと邪推してしまいました。
その後プレーできるチームを探して辿り着いたのが最後のクラブチームであるテゲバジャーロ宮崎でした。
家族は妻と子供の3人家族
工藤選手は奥様と子供1人の3人暮らしで奥様とは高校時代からお付き合いしており、2013年に入籍しました。
レイソル時代に大活躍して自信をつけてから結婚を決めたのでしょうか。
それにしても高校時代からということは少なくとも5年以上は交際してご結婚されたということですから、工藤選手は一途だったんですね。それだけ奥様が素晴らしく、大切な女性だったとも考えられます。
Instagramではお子様と一緒に写っている写真が多く、一人娘に溺愛していた様子もうかがえます。
工藤選手がとても優しい笑顔で素敵な写真ですね↑✨
工藤選手の命を奪った水頭症とは
工藤選手の命を突然奪ったように思えた水頭症というのは一体何なのか。
私たちは現代史の授業でベトナム戦争時の枯葉剤の影響で生まれてくる子供が水頭症を患っていたということを学習した記憶がありますが、突然発症するものなのでしょうか。
脳神経外科医である御任明利(みとうあきとし)先生の手記によれば水頭症とは
脳脊髄液の循環障害によって脳室が広がった状態
を指すそうです。
決して先天性のみで発症するものではなく、今回の工藤選手のように後天的に発症する場合もあるようです。
私たちもいつかなる可能性はゼロではないということなんですね。
発症した原因はわかっていませんが、頭への外傷でも水頭症を誘発する原因になるようで、カナダでプレイしていた時のようなアゴの骨を折る大けがをしたり、サッカーはコンタクトスポーツでもあるので、工藤選手の頭部にダメージがあったとしても不思議ではありません。
工藤選手のスーパープレー3選
ここからは水頭症と最後まで闘った工藤選手を偲んで今までのスーパープレイを振り返ってみたいと思います。
工藤選手は突出したパワーやスピードの持ち主ではなかったようですが、ゴールへの嗅覚が優れた選手でポジショニングや駆け引きが上手い選手と評判でした。
①自身初のハットトリック
動画は工藤選手が初めてハットトリックを達成した2012年のセレッソ大阪戦になります。↓↓↓
DFの裏をかくような動き、斜めの動きでフリーになるのが上手かった選手という印象ですね。素晴らしい決定力でした。
この2012年シーズンからピークを迎えたように思えます。
ネルシーニョ監督とともに天皇杯優勝、日本代表として東アジアカップ優勝…。
このハットトリックがある意味”工藤時代”の幕開けだったのではないでしょうか。
②泥臭いヒールシュート
サンフレッチェ広島でも魅せるプレイを披露していました。横浜Fマリノス戦でのヒールシュートです。↓↓↓
オフサイドかと思われましたが、上手く飛び出してゴールを背にしてのヒールシュート。
どんな体勢でもゴールに繋げようとする執念とゴールへの嗅覚の鋭さを感じさせるシーンでした。
監督の森保さんも遠くで喜んでいるのが印象的ですね。不振だった工藤選手と一緒に喜びを分かち合っているようでした。
③生涯最後のゴール
↓の動画はテゲバジャーロ宮崎公式Twitterでアップされた工藤選手のゴールシーンです。
このFC岐阜戦でのゴールが工藤選手最後のゴールとなりました…。
最後の最後まで泥臭いストライカーだったと印象付けるようなゴールシーンでした。
ゴールに喜んでいる姿を見るとどんなに周囲の環境が変わってもサッカーが好きだという気持ちが感じとれます。
工藤選手の水頭症とスーパープレイのまとめ
工藤選手の水頭症とスーパープレイまとめ ・工藤壮人選手は10月2日体調不良を訴え、11日手術、21日に32歳で帰らぬ人となった。 ・工藤選手の死因となった水頭症は後天的なもので、脳脊髄液が頭の中(脳室)に溜まる病だった。 ・工藤壮人選手は柏レイソル歴代屈指のストライカーで81ゴールはレイソル歴代トップのゴール数である。 ・工藤選手の特徴はゴールへの嗅覚、フリーの時の動きに優れた選手でどんな体勢からでもシュートを放ち、ゴールに繋げるストライカーだった。
工藤選手は最後まで父親でありながら、ゴールゲッターでした。
柏レイソルユースの時代から数え22年間のサッカー人生を歩み、柏退団後は苦労が絶えなかったかもしれませんが、かけがえのない大切な家族がそばにいて工藤選手は最後まで幸せだったようにも思えます。
工藤選手、最後まで本当にお疲れさまでした。