本日未明(2022年5月11日)ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが天国に旅立ちました。
渡辺裕之さんの訃報に続き、こちらも突然の訃報で世間にとてつもないショックが広がっていますが、今回はあえて自殺には触れず、上島竜兵さんを偲び、明るく送り出すために若い頃から今に至るまでの活躍をまとめてみました。
上島竜兵さんを忘れないように。
Contents
上島竜兵さん プロフィール
生年月日:1961年1月20日
血液型:AB型
出身地:兵庫県丹羽市(旧氷上郡春日町)
趣味:プロレス・野球観戦、野球
上島竜兵さんと言えば「くるりんぱ」「押すな、押すなよ!」「どーぞどーぞ」など誰もが知っている定番ギャグでお茶の間を賑わしてくれたリアクション芸人の第一人者ですね。
上島竜兵さんの凄いところはそういったギャグが何年経っても、どの世代にも受け入れられているという点でしょう。私的には志村けんのバカ殿様とのやり取りや熱湯のリアクションとかで大笑いしたのが印象的で今思うと懐かしいです。
元々は青年座で俳優志望
今ではリアクション芸人として体を張っていた上島さんですが、若い頃は俳優を目指していたそうです。最初からお笑い芸人を目指していなかったのは意外ですね。
テアトルエコー付属養成所では寺門ジモンさんと出会いました。(寺門ジモンさんも俳優志望だったのか…)
ある意味上島さんが俳優を目指さず、そのままお笑い芸人の道に進んでいたら寺門ジモンさんと会うことなく今日のダチョウ倶楽部は無かったのかもしれません。
1985年ダチョウ倶楽部結成
テアトルエコー付属養成所で寺門ジモンさんと出会い、当時お笑い芸人として活躍していた渡辺正行さんの下で肥後克広さん、南部虎弾(なんぶとらた)さんを紹介してもらい、ダチョウ倶楽部の原型ができました。南部さんの脱退後1985年に今のダチョウ倶楽部として始動します。
まだ出始めのダチョウ倶楽部のコントがこちらです↓↓↓
吉本新喜劇みたいなノリで楽しそうにコントしてますね(笑)。ボケとツッコミがそれぞれ入れ替わって目まぐるしいですが、テンポが良くて見てる人を飽きさせないですね。上島さんのキレ方が今と変わってないところも面白い。
下の動画もコントですが、これは涙が出るくらい笑いました。↓。
最初のゲームセンター靴屋さんって設定も面白いし、顔芸、リアクション芸、一発ギャグどれをとっても面白い。ハイテンションなダチョウ倶楽部さんたちにこちらも引き込まれて楽しくなりますね。
ダチョウ倶楽部さんってものまね王決定戦のイメージが強かったですけど、こういうコントもするんですね。キングオブコントがこの時代にあったら優勝していたかも。
リアクション芸の第一人者
ダチョウ倶楽部でのコントが抜群に面白かった上島さんですが、ピンで活動しているときも上島さんの面白さは半減しません。持ち前のリアクション芸でお茶の間に笑いを提供していました。
やはり定番のギャグで展開はわかっているのに笑ってしまいます。
ただ、こういうこと自体も今となっては本当は不本意だったのかと思いますが、だとしてもプロですからそれを表に出さないのでしょう。
上島竜兵さんの若い頃から今に至るまでのまとめ
今回、上島竜兵さんの若い頃から今に至るまでの軌跡をまとめました。元々志望していた俳優のお仕事でも活躍していただけにとても惜しい方が亡くなりました。
上島竜兵さんの若い頃から今に至るまでのまとめ ・元々俳優志望だったが同じ劇団同期の寺門ジモンとの出会いによって今日のダチョウ倶楽部があった。 ・リアクション芸が注目されがちだが、コント自体も計算されていて面白く、わかっていても笑ってしまう。 ・ピンで活動していても持ち前のリアクションで幅広い世代に支持された数少ないお笑い芸人である。 ・俳優としても活躍しており、最近はフジテレビドラマ「やんごとなき一族」の八百屋の八さんとして出演していた。 ・亡くなるギリギリまで俳優、そしてお笑い芸人として第一線で活躍していた。
突然の訃報で驚きましたが、渡辺裕之さんと同じように周囲に明るく振舞ってはいたものの、人知れず悩みがあったのかもしれません。
もう上島さんのリアクション芸をリアルタイムでみることはできませんが、上島さんがお笑い界に残した功績は後世にも語り継がれることでしょう。
今まで私たちを笑顔にさせてくれてありがとうございました。
天国でも志村けんさんと仲良くコントしてくださいね。
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