8月1日服飾評論家の市田ひろみさんが急性呼吸不全のため、90歳で亡くなりました。
市田ひろみさんと言えば緑茶のCMで覚えておられる方も多いのではないでしょうか?
今回は服飾評論家でありながらタレントとしても活躍していた市田さんを偲びつつ
①市田ひろみさんの若い頃はどのようなお姿だったのか
②市田ひろみさんのCM動画はあるのか
という点を調べてみました。
市田さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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市田ひろみさんのプロフィール
生年月日:1932年7月10日
血液型:A型
出身地:大阪府大阪市大正区
最終学歴:京都府立大学女子短期大学部
元々はあの農耕機械やエンジンメーカーの大手ヤンマーディーゼルに勤めており、そこで技術部長の秘書をしていたという市田さん。今の着物姿からは想像もつかないですね。
他にも母親の下で美容師の修業をして自身のお店市田美容室の社長となったり、着物や帯のデザインを手掛けていたことが評価され、現代の名工に選ばれたりとかなりのスーパーウーマンっぷりを発揮していた人生だったようです。
これだけでも凄いのですが、市田さんはタレントとしてもメディアに度々出演し、緑茶のCMや徹子の部屋、映画やテレビドラマにも出演するなど、お茶の間にも浸透していました。
色々なことにチャレンジし続けた人生だったんですね。人生を有意義に過ごしていたようで憧れます。
市田ひろみさんの若い頃の画像はあるのか?
徹子の部屋出演時85歳の市田さんでしたが、たれ目がチャーミングだし、お肌や髪質的に良い年の取り方をしている感じで「絶対若い時美人でしょ」と思うような雰囲気を持っていました。
実際調べてみたら想像通りのすんごい美人さんでした。↓↓↓
うそやん。
外国人モデルさんですか?ってくらい顔立ちがハーフっぽくないですか?
さすが”和製ソフィアローレン”と言われるだけありますね。
こんな超美人さんがヤンマーの技術部長の秘書だったなんて。
技術部長毎日ソワソワしてそう…。
市田さんのサンタコス。
すんごい貴重な感じです。
すらっと伸びた脚。美脚ですね✨
男性陣が落ち着かなさそう。
当時29歳の市田さん。
彫の深い顔立ちでやはりハーフ感があります。
20代前半で大映ニューフェイスにスカウトされ、1956年の母白雪で銀幕デビュー(当時24歳)。
ヒロインや準主役で映画に出演していました。
あの美貌ならその抜擢にも納得ですよね。
市田ひろみさんのCM動画はある?
実は銀幕の世界で活躍していた市田さんですが、ほとんどの方は
「お茶のCMに出てた人」
という印象を持っているのではないでしょうか。
実際に当時のCMが残っていました。↓↓↓
これは1993年のサントリー緑茶のCMで当時61歳の市田さんが映っています。
気を遣って帰ろうとするお客を「良いお茶と温かいごはんがあるから」と京都弁で引き留めているように聞こえますね。
最後の「そんな急いでいかはったかて、地球が爆発するわけじゃなし」の部分は笑ってしまいました。
京都の人情味があるお母さん役を見事に演じていますね。
下は別バージョンです。↓
早口の京都弁で押し売り的な感じでちょっと圧があって良い感じのキャラクターに仕上がってますね。
後ろの娘役の子が正座を崩すのもめざとく見て注意するところも自然な感じです。
着物を着ている姿は本当に穏やかで優しそうな雰囲気が出ていますが、CM内では全然違ったキャラクターでギャップが良いですね。
もっと市田さんが出演している映画や番組を見てみたかったのですが、亡くなられたのが残念です。
市田ひろみさん死去。CMの映像や若い頃の画像、経歴まとめ
市田ひろみさん死去。CMの映像や若い頃の画像、経歴まとめ ・市田ひろみさんは元々大手エンジンメーカーヤンマーディーゼルで技術部長の秘書をしていた。 ・市田ひろみさんは「お茶のおばさん」のイメージが強いが、昔は銀幕で活躍していた超美人女優である。 ・市田ひろみさんのお茶のCMは「親しみやすい京都のおかあさん」を見事に演じきっており、包容力がありつつも押しが強い感じに仕上がっていた。
市田ひろみさんお疲れさまでした。
天国でも天真爛漫な笑顔でお茶を振る舞ってください。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。